《journal》

毎日一枚の写真と言葉を連ねる、日報のようなもの。毎日更新したり、しなかったり…

日々、上書き上書きしていきます。


5/20 wed.

昨夜、夫と遠藤周作の『沈黙』について話をしました。

教会シリーズを発表したときに、何人かに「読んでみたら」と言われた、遠藤周作の『沈黙』。言わずと知れた名作だということは知っていたけれど、わたしはこれまでに読んだことがなくて、今年に入ってからやっと読みました。それが、驚くべき体験だった。

夫にもこの言葉の体験をしてもらいたくて、すぐに読み終わった本を渡しました。

そこで、わたしがこの小説で最も印象的だったシーンを打ち明けると、夫と同じ言葉が出ました。「そこに神が見えたのかもしれない」と。

アイスランドの教会を巡っても、新しいシリーズのために歴史を学んでも、わたしには「神」がなんなのかわからないけれど、わからない中にはいつも「問い」があります。わたしはこの「問い」を、次のシリーズでは深く掘り下げていきたい。

うまれたときから、わたし達は優劣の中にいて、強い者が弱い者を切り捨てていく。歴史は、ずっとそんなことを繰り返してきた。『沈黙』の中でも、皆殺しのように人が殺されていきます。けれど、物語りの中で、ずっと「弱き者」として描かれているひとりの男の姿が、本当に印象的なのです。

全国の緊急事態宣言が徐々に解除されて、わたしが活動している関西圏も明日には解除の発表がありそうです。

解除されたからといって、コロナがなくなるわけではないし、世界は元通りにはならない。けれど、それはずっと変わらない。

だから、これからを考えていきたいです。

六月に入ったら止まっていた撮影も再開して、また制作に力を入れていこうと思います。

〔冊子はもう少しの間だけ販売していますので、よろしければお問い合わせください〕


5/19 tue.

三月から撮影に出ていなくて、いろいろと考えている。

わたしの被写体は、いつも「遠くのどこか」にあるからだ。

そんな中、一回りも歳の離れた聖ちゃんが見せてくれる「すぐ目の前」の写真が、わたしにはいつも眩しい。

わたしも写真を始めた頃は、ずっと「すぐ目の前」ばかりを撮っていた。初めてつくった作品も、家族を撮った写真だった。その作品が賞をもらって、いい意味でも悪い意味でも「自分は写真家なんだ」と思うようになってからは、どんどんと撮る対象が遠くになっていった。

けれど、活動を止めていた八年間は、また「すぐ目の前」の写真ばかりを撮るようになった。それらが作品になることは考えることもなく、ただ日々を撮っていた。

「また作品がつくりたい」と思ったのは、2014年に訪れたアイスランドでだった。そう思ってしまったら、「すぐ目の前」にはカメラを向けなくなってしまった。

このバランスって、なんだろう。スタンス?

作品制作のスイッチが再び入ると、頭はいつも撮りたい「遠くのどこか」へ向けられて、次の撮影の下調べや歴史的背景などの勉強に比重を置いてしまう。実際に、今も次回のテーマに関連している本を読み、撮影場所のリサーチを繰り返している。

日々の中で、新緑のきらめきに心を奪われるし、駅の青いベンチに真っ赤なお菓子の空き箱が落ちていたりするとハッとしてしまう(ゴミ箱、目の前にあるけどね)。だけど、撮らない。つくりたいものが明確になると、まず日々の中でカメラを持ち歩いていない。活動をやめていた八年間は、どんなときもカメラを持ち歩いていたのに。

この違いって、なんだろう。スタンス?

アイスランドで撮影した教会シリーズから、昨年の11月にやっと次のシリーズでやりたいことがかたまって、今年に入ってからも撮影は順調だった。けれど、このコロナ。

ただ、撮影が止まっても、手は止めない。

たくさん読書をして、歴史を学び、実りある多くの映画と出会い、日々の風景に心を動かす。

撮る撮らないと同じくらい、わたしにとって大事なことは、そこなのだと思う。


5/16 sat.

雨降りの土曜日に、映画を二本。

けれど、これがどちらもあまり入ってこなくて、悶々としてくる。一本目はゴールデンレトリバー とプードルのミックスであるゴールデンドゥードル(!)が最高にかわいかったというくらいで、二本目はセレーナ・ゴメスがただただかわいかったという…(だったらいいじゃないか)。

わたしたちは、いつも何かしらの選択をする。朝起きてから、一日の行動は選択の連続と言ってもいいくらい。今日は何を着て、何を食べて、何を話して、どんな映画を観ようか。

だけど、「選択の自由」って、本当に自由なのかな。選択にはルーティンが大きく関係してくるし(でも、ルーティンも自由か)。

膨大なオンデマンドから二本の映画を選んだわたしたちは、自由な選択をしたというよりも、その状況やタイミングに合った選択をしたという方がしっくりくる。ん、、、なんだか、抜け出せなくなりそう。リセット。

セレーナ・ゴメスが、このコロナ禍で卒業式などができなくなってしまった若者たちに「人生とは、自分の行く先や、熱中できることを探しながら進んでいく旅です。だから、過ちや失敗にイライラしないでください。それはみんなに起こることなんです」(一部だけ抜粋)と祝辞を贈っていた。

十ほど歳の離れたセレーナの言葉に、「ほんまやわー」と思い、映画二本でイライラしてしまった自分を反省した夜。

明日は読書にしとこ。


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詳細は「news」をご覧ください。


2020