《journal》

毎日一枚の写真と言葉を連ねる、日報のようなもの。毎日更新したり、しなかったり…

日々、上書き上書きしていきます。


10/17 sat.

先日、劇場での公開を見逃して以来ずっと観たかったスパイク・リー監督の映画『ブラック・クランズマン』(2018)を観ました。

1970年代のアメリカを舞台に黒人差別をテーマとし、二人の警察官が前代未聞の潜入捜査に踏み込んだ実話を基にした作品です。

予告編だけを観ているともっとコメディータッチかと思っていたのに、実際は「差別差別差別」と…わりとずっとシュールな展開。洗練されている会話も、まあ笑えない。

でも。差別を描いている映画ではあるのだけれど、実際に見えてきたのは、それぞれの行き過ぎた自己防衛だったように思います。それを軽やかに飛び越えていったのが、主人公の黒人刑事だったのではないかと。

写真家ロバート・フランクが、1950年代のアメリカを捉えた『THE AMERICANS』という一冊の写真集があります。まだ自分が生まれる前の行ったことも見たこともないアメリカなのに、これがアメリカの象徴なんじゃないだろうかと今でも度々見返してしまう。そして、モンゴメリー・バス・ボイコット事件が起こった1955年。黒人公民権運動を率いたキング牧師は、「私には夢がある」と演説しました。

ガス・ヴァン・サント監督の映画『ミルク』(2008)でもわりと衝撃だったのだけれど、この映画の1970年代ってそう遠くはない過去の話です。

今年ミネソタ州でのジョージ・フロイドさんの死をきっかけに、世界中で起こった「Black Lives Matter」の抗議デモ。

この映画でも「歴史は繰り返し続けている」と、最後の最後で用意された映像の数々で途端ぶった斬られるように物語りは終わります。

日本人から見ても感じてしまうこのモヤモヤを、いったいどこに置いたらいいんだろう。最近、油断していたらラストで落とされる映画って多いです。『新聞記者』(2019/日本/藤井道人)なんかも。

「谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される」

自由って、なんだろうな。


10/15 thu.

galleryMain(京都)でのグループ展も残すところ後数日となりました。

完成前のまだ制作途中の作品を発表することに少しの迷いもあったのに、実際に展示をしてみるといろいろな声に支えられて、結果このシリーズを撮影していくことに何か確信のような深い重みのようなものを感じています。

昨年の11月に島根県・津和野を訪れてから、個の行方を問うように今回のシリーズの撮影を繰り返してきました。

この展示で作品を発表してみて多く訊かれることは、「(隠れキリシタンの)処刑場を巡っていて、怖くないんですか?」という質問。その問いに、わたしはいつも「かつてのかなしい場所は、美しい場所として残っています」と答えています。

現実は複雑で、面倒臭くて、汚くて、わたしはどうしようもなく愚か者で…

未来などは語れず、ずっと過去と現実を行ったり来たりしています。

わたしはなぜか「可愛がられて育ってきたでしょう」と言われることが多く、だけど実際は、小さな頃から両親の顔色に怯え、親にも言えなかった酷く辛い過去があります。

こんなにもかなしみと矛盾を抱えていても、祈りの場はただ静かで美しく、わたしは自身の心を解いていくためにこうした撮影を繰り返しているのかもしれません。

昨日、写真展に来てくれた古い友人は、「そっかぁ、吉田はずっと自分の家を探しているんやなぁ」と言っていました。

結局、わたしの作品は、その言葉に尽きるのかもしれません。

でも。「家」って、なんだろう。

今年中にはまた長崎へ出かけて行き、このシリーズの核となる場所を撮影したいと思っています。

来年には個展ができるかな…再来年かな。

土曜日と日曜日はギャラリーに在廊しています。

(友人は、別れ際に「(昨年、家を購入して)この歳で30年ローンやで。絶対、病気できへんわ…」と言いました。みんなみんな、どうか元気でいられますように。)


9/4 fri.

9/18(金)から京都のgalleryMainでのグループ展が始まります。

この状況下において、まだまだ「是非お越しください」とは言えませんが、ウィルス感染予防・拡散防止には注意を払い、週末などにはギャラリーに在廊できたらと考えています。

昨年はフェアへの参加が続いて、こうした展示はWACOAL STUDYHALL KYOTOでの個展以来二年ぶりです。

今回は、現在制作中の新しいシリーズの中から新作四点を展示予定。

前作のアイスランドの教会を撮影したシリーズ『samskeyti』から、より宗教色の強い写真となっていますが、作品の核となるのは「宗教」ではなく、祈りと現実の間にある隔たりや生の矛盾を問うことのように思います。

そうした問いに、いつか答えが出るとは思えませんが、その問題から目をそらさないでいることが、わたしにとって作品をつくるという行為に繋がっていくのかもしれません。

けれど、新しい作品を出すことは、いつもものすごく緊張します。

今回のグループ展を機会に、いつかの個展での発表に向けて、なにか新しい気づきがあれば。

またこの展覧会では、各作家のポートフォリオも併せてご覧いただくことができます。

わたしは『samskeyti』から、これまでに発表することのなかった写真を中心に新しい一冊を制作しています。

撮影期間から数えると、もう五年もの時間が経過した作品ではありますが、『samskeyti』はこれからも手をかけていきたい自身にとって重要なシリーズです。

誰にも頼まれていないのに九年ぶりに作品を発表する場へ戻り、今年で四年の時間が過ぎました。

この四年で、わたしは若い頃には味わうことのできなかったはかなさとかけがえのなさを感じてきたように思います。

いとおしい日々の連なりと制作へ向き合うふたつの時間の中で、これからもわたしは目には見えない心の価値を見つめ続けていけたら…

永遠ではない時間の中で確実に歳を重ね、目元のシワを時折気にしたりもしながら、かすかに進んでいく運命を信じ続けています。


2020