《journal》

一枚の写真と言葉を連ねる、日報のようなもの。更新したり、しなかったり…

日々、上書き上書きしていきます。


1/14 thu.

このご時世で大きな声では言えないのだけれど、昨年の12月に長崎へ撮影に行って来ました。2019年から制作している『帰心、遙けし』という、隠れキリシタンの殉教地を撮影しているシリーズのためです。

今回の撮影では、大浦天主堂と浦上天守堂をメインに出かけて来ました。三度目の長崎だったけれど、どちらも訪れるのははじめてのこと。この二つの場所は『帰心、遙けし』を制作する上で、とても重要な場所であると考えています。

自身が抱えている問題を歴史になぞらえて撮影していく。

はじめての試みではあるけれど、そこから拡がっていく様々な関係性に、何か強い使命感のような…そんな想いを持つことができています(まだまだ言葉では表現しきれないけれど…)。

撮影から戻り、遠藤周作の『女の一生 一部・キクの場合』という小説を読み終えました(この撮影のために読み始めたのに、長崎までに読み終わらなかった、、、)。この小説は、わたしが『帰心、遙けし』の撮影で軸としている「浦上四番崩れ」という幕末・明治のキリシタン迫害事件を題材としています。

けれど、同じくキリシタン迫害を描いた同著の『沈黙』とは全く違っていました。

『女の一生 一部・キクの場合』では、キクという名のひとりの少女が自分の愛を貫き生きた運命が、あまりにもかなしく美しく綴られています。

小説に描かれている長崎の風景で、今も面影を残すのは大浦天主堂だけなのだそう。物語りの終盤で、死期が迫ったキクが最後の力を振り絞って大浦天主堂の階段を上る場面では、思わず嗚咽が出ていました。

わたしは制作をしていく中で、このテーマを見つけることができて本当によかった。この小説を読み終えて、しみじみと思います。

いろいろなことが落ち着いたら、今年もまた長崎へ撮影に行きたい。

長崎は、すごい街です。


1/11 mon.

思い立って、以前よく出かけていた森まで行ってみることにした。

そこで、少し不思議な感覚を覚える。以前は真っ直ぐに高くて包み込まれそうに感じていた森が、どこか手が届きそうなくらい近くに感じられたのだ。

わたしはスピリチュアルな能力など持ち合わせていないのだけれど、ここに来るのはこれが最後になるのかもしれないなと思った。決して、悪い意味とかではなくて。

このお正月。檜原神社という場所から、わたしは二上山を眺めた。

檜原神社まで向かう山辺の道は気持ちがよく、境内から望んだ二上山は清々しかった。

あの山の麓には先生が暮らしていて、そういえば先生はご自身の人生のターニングポイントのときに、わたしを訪ねて来てくれたことを思い出す。

森の出口までやって来て一礼をしてから歩き出すと、今度はわたしが先生に会いに行こうと、なんとなくなんだけれどそう思った。


2021


12/28 mon.

今年最後の撮影へ。

100名ほどが命を落とした殉教地の森へと出かけた。

先週の寒波の影響で、森の此処彼処には雪が残っている。

ぬかるんだ地面の冷たさを靴を通して感じながら、辿り着いた殉教地には、やっぱり人々の祈りの痕跡があった。

冬だからか雪のせいか、どこまでもしんとした森の中に、暫くただ立ったままでいる。時折、背後でメジロの群れの声を聞いた。

わたしは自分が抱えるこの想いを、使い道をなくしたこの身体を、どうしていくことができるのかな。

ひとりで風景と向き合っている時間は、自分にとっての祈りの時間でもあるのだな。いつも思ってしまうことを、やっぱり今年最後の撮影でも感じていた。信じる神様も誰かわからないのに。

この深い森に隔離されていたキリシタンたちは、毎日毎日故郷へ帰れることを祈った。その祈りは、遠く離れた街の人々の胸をも打った。

きっと、わたしは来年もこれからも、どうしようもない矛盾とかなしみを抱えて、風景の向こう側の光に見惚れ続けるだろう。

何度かシャッターを切り、悴んだ指でフィルムチェンジをしていると、涙が滲んだ。きっと、寒さのせいだ。

この熱が果てしなく燃え続ける、そんな限りない体力をどうかわたしに与えてください。 


11/9 mon.

【galleryMain アーティストトーク “ヨシダミナコ”】

 

https://www.youtube.com/watch?v=G9eW0Ua3gVs

 

京都のgalleryMainで行われたグループ展“galleryMain archive project #1”の関連で、先日アーティストトークを収録しました。

打ち合わせも台本もリハーサルもない一発撮りだったので、言い間違えやいろいろとお聞き苦しいところもあると思いますが、こんなふうに自身の写真家としての活動をはじまりから現在まで振り返って話すことは初めてで、大変よい機会をいただけたように思います。ありがとうございました。

一時間くらいの長いトーク映像となっていますが、お時間のあるときにでもご覧いただけましたら幸いです。

 

*ざっと自分で見返してみて、言い間違えで気になったところを記録しておきます*

澤田知子さんではなくて米田知子さん

キリスト=父ではなくて神=父

「浦上四番崩れ」がキリシタンの最後の弾圧となったが、1873年にキリシタン禁制の高札が撤廃された後も宗教の自由が認められたわけではなく、あくまでも黙認の時代が続く

「明治維新」のくだりもめちゃくちゃでした

処女作である『向かうところ』は2002年撮影ではなく、2000年撮影制作の作品(キャノン写真新世紀の受賞が2002年)

「渾身的」と何度か言っているところは、「献身的」と言っているつもりだった

『帰心、遙けし』の「遙けし」の意味は、「時間的、空間的、体感的」ではなくて「時間的、空間的、心理的」

(まだまだあるようにも思います…)


2020