《journal》

一枚の写真と言葉を連ねる、日報のようなもの。更新したり、しなかったり…

日々、上書き上書きしていきます。


11/26 thu.

映画『ミッドナイトスワン』(2020年/日本/内田英治)。

世界初といわれる15分超えの予告編がよくできていて、本編を観るとちょっとポカン…としてしまった(日本の予告編制作会社は、すっごいよね!)。

まだお互いに歩み寄れない渇き切った前半はとにかくいいのに、後半の演出にどんどん心が離れてしまったよ。感動のポイントで渋谷慶一郎流すよー!みたいな感じも、途中から「んーっ」と思う。まあ、好きやけどさ。

人は、希望を見られると、どんどん狂っていくものなのかな。

母になりたいという一心で落ちるところまで落ちていく主人公の凪沙(草彅剛)の姿が、もうなんと言ったらいいのか、、、

綺麗に女性を演じようとするのではなくて、妙に生々しく女性になっていたあの演技はずっとじわじわ残ってしまう。すごいな。

それにしても、この映画でデビューを飾った服部樹咲ちゃん!!!!!あの目は、なんやろかー。最高やったー。

映画『花とアリス』もそうやったけれど、制服少女のバレエダンスって、もう反則よね。美し過ぎるよね。

内田英治監督の作品は『全裸監督』しか観たことがないけれど、どんな環境にでもいる空洞な人を拾い上げるのが上手やなぁ。どんな家に生まれても、どんな身なりをしていても、さみしい人は、さみしい。

だけど、中学生になんという人生を背負わせてしまうのか、、、

わたしはこの映画では泣けないよ。けど、ずっと覚えていると思う。

わたしだって夢見た未来は手に入れられなかったからさ。「普通」っていう、努力の賜が眩しいからさ。


11/23 mon.

映画『はじまりのうた』(2013年/アメリカ/ジョン・カーニー)。

わたしはジョン・カーニーの『ONCE ダブリンの街角で』(2006)を何度観ても、きまってラストで泣いてしまうのだけれど、この映画も同じくらい胸の中に爽やかでほの温かな風が吹き込んでくるみたいだった(そう言えば、数年前に奈良のギャラリーで開催したただただ映画鑑賞をするイベントで、知らないおじさんと『ONCE ダブリンの街角で』を二人きりで観たことがある。エンドロールの後で、おじさんは「なんでこのふたりはお互いに「好き」って言わないの?」と言っていたなぁ)。

『ONCE ダブリンの街角で』でもそうなのだけれど、確実に惹かれ合っているふたりが結ばれはしない…あの感じはなんなのだろう。ほんっと、余韻上手。

ジョン・カーニーの作品は、ちょっとした大人のお伽話のようでもあって、見る側に小さな魔法をかけてくれるみたい。一見すると長過ぎるようにも思えるミュージック・ビデオ感な演出も、きっとその要因になっているのではないのかな。物語りの展開だけではなくて、歌うことで次々とストーリーに広がりを持たせていく。描かれていないそれぞれの心の描写ですらも、こちらは歌を聴いているだけなのに「そうなのだな」と納得してしまうのだ。

大人なのにさ、大人だからさ、なんかこう…終盤でグレタ(ヒロイン)が自転車を漕いでいくときのあの表情…ハッピーエンドとは言えないのかもしれないけれど、終わっていく感じとまた始まっていく感じに、なんとも胸が熱くなってしまって。清いなぁ…グレタよ。あー、キーラ・ナイトレイになりたい。

この映画の見どころと言ってもいい、イヤホンのスプリッタを使ってふたりで同じ曲を聴きながら夜のマンハッタンを散歩するシーン…スプリッタが欲しくなっちゃったよ。


11/9 mon.

【galleryMain アーティストトーク “ヨシダミナコ”】

 

https://www.youtube.com/watch?v=G9eW0Ua3gVs

 

京都のgalleryMainで行われたグループ展“galleryMain archive project #1”の関連で、先日アーティストトークを収録しました。

打ち合わせも台本もリハーサルもない一発撮りだったので、言い間違えやいろいろとお聞き苦しいところもあると思いますが、こんなふうに自身の写真家としての活動をはじまりから現在まで振り返って話すことは初めてで、大変よい機会をいただけたように思います。ありがとうございました。

一時間くらいの長いトーク映像となっていますが、お時間のあるときにでもご覧いただけましたら幸いです。

 

*ざっと自分で見返してみて、言い間違えで気になったところを記録しておきます*

澤田知子さんではなくて米田知子さん

キリスト=父ではなくて神=父

「浦上四番崩れ」がキリシタンの最後の弾圧となったが、1873年にキリシタン禁制の高札が撤廃された後も宗教の自由が認められたわけではなく、あくまでも黙認の時代が続く

「明治維新」のくだりもめちゃくちゃでした

処女作である『向かうところ』は2002年撮影ではなく、2000年撮影制作の作品(キャノン写真新世紀の受賞が2002年)

「渾身的」と何度か言っているところは、「献身的」と言っているつもりだった

『帰心、遙けし』の「遙けし」の意味は、「時間的、空間的、体感的」ではなくて「時間的、空間的、心理的」

(まだまだあるようにも思います…)


2020