《journal》

一枚の写真と言葉を連ねる、日報のようなもの。更新したり、しなかったり…

日々、上書き上書きしていきます。


4/17 sat.

今年中に、また長崎へ撮影に行きたいな…

そんな想いをつのらせていると、世の中は「再々宣言」なんていう、、、なんだかまたどうなっていくんやろか…という感じに。

前回、長崎へ撮影に出かけたのは、昨年十二月のこと。

制作中の『帰心、遙けし』というシリーズは、長崎で撮影することが大きな軸となっているように思う。

『帰心、遙けし』は、「大浦天主堂の写真からはじまり、浦上天守堂の写真で終える」という、史実に沿った流れで作品を構成していこうという考えが、制作をはじめた頃からあった。今は、そうした流れから、必要となってくるカットを撮り求めていく感じなのかもしれない。

また、前回に何枚か押さえていた波の写真を眺めながら、エフェクトとして作品の中盤には幾つもの波の写真を入れていきたいとも思った。だから、次回はフェリーを使って九州へ行きたいなと。

前回、長崎へ出かけたとき、遠藤周作の『女の一生〈一部・キクの場合〉』という小説を読んでいた。

『女の一生〈一部・キクの場合〉』は、幕末から明治の大浦天主堂を中心の舞台とし、隠れキリシタンの清吉という青年をひたむきに想い続けたキクという少女の短い一生が描かれている。

迫害を受けて津和野へと流刑されてしまった清吉とは会えぬまま、キクは大浦天主堂で亡くなる。そこに行けば清吉を感じられると、最後にない力を振り絞って聖堂までの階段を上がっていくキクの姿は、思い返してみても悲痛な想いに胸が詰まってきてしまう。

前回の撮影で大浦天主堂を訪れたときに、その場に居合わせた方に、この階段の下で一枚写真を撮ってもらった。わたしはその写真を、今でも大切な気持ちで何度も見返してしまう。

また、その旅の中で原爆史料館を訪れたとき、資料館から出ると外は十二月とは思えないあたたかな光に包まれていて、穏やかで、わたしは愛する人をただ愛し続けたいという強烈な想いに駆られた。

そんな気持ちで浦上天守堂を訪れ、祈るような想いで何度かシャッターを切る。

次回の撮影までには、この浦上天守堂が描かれた、未読の『女の一生〈二部・サチ子の場合〉』も読みたい。

「旅」と呼ばれた弾圧に耐え、ふるさとに帰ってくることのできた信徒たちが建てた浦上天守堂の写真へ全てを繋げていけるよう、今この想いを、『帰心、遙けし』には閉じ込めていきたいと思っている。

そして、そうした写真が、誰かの別のなにかに作用して、それぞれの祈りに寄り添うことができたらと。

また、どんな人生であっても「人生はこの形でいいのだと」、そう思えることを願っている。

でも、まだできていないんだけれど…

これからもずっと共にいるよと、わたしは祈りを込めて制作を続けます。


4/13 tue.

一ヶ月程前に、萩へ撮影に行ってきた(こんな折りなのだけれど…)。現在、制作中の『帰心、遙けし』というシリーズの撮影で。

萩市内へと入る県道沿いには、満開の白木蓮の並木があり、青空の中に流れていくような白色を見上げながら、さっそく胸を高鳴らせていた。

日本海側の山陰地方に位置する萩だけれど、辿り着いたそこはとてもあたたかでのびやかな空気に満ちている。

海があり、漁港があるからなのか、町中で猫たちがゆったりとしており、また、此処彼処に甘夏の木が生えていた。

萩市内から少し離れ、訪れた紫福のキリシタン祈念地は、赤い屋根瓦の家々と田畑が続く集落のそばにあった。

民家の間の狭い道を抜け、山道に入ったら湿った土の香りが立っていて、多くの有機物で満ち溢れている。静寂の中であっても、小さな声のようなものがこだましているようだった。

そこに開けた場所があり、十字架と幾つかの墓碑が並んでいる。それがキリシタン祈念地だった。

山中の暗く湿った場所なのだけれど、木漏れ日が射し込み、木々を縫うようにして光が届いてくる。その風景が、わたしの目には見事な光沢を放っているように見えた。

何度かシャッターを切り、撮影を終えて振り返ると、そこにはなにか大きな安心のようなものがあり、どっとした気持ちが込み上げる。

このテーマと出会い、ここまで辿り着けたこと、こんなにも心を動かしながらシャッターを切れていること…

わたしは、この場に満ちている有機物や光、人々の祈りの痕跡や、きっと神様なんかにも、何度でもお礼を伝えたくなるくらい感極まっていた。

 「きっと、人はいつも、それぞれの光を捜し求める長い旅の途上なのだ」。星野道夫さんの本の中にある一節。

うつろいゆく季節の中で、とどめておきたい、言葉にはなり切らない時間がある。

わたしは、それらを見落とさないように写真を撮っていく。けれど、どんどんと溢れては、こぼれ落ちる。

春色に満ちた萩への旅は、それから一ヶ月経った今でも身体の中にじんわりと漂い、こうした想いは、いつか自分の身体が消えてしまってもなくならないのではないだろうか…

そんなふうに思った。

(写真は、萩キリシタン殉教者記念公園)


3/4 thu.

お父さんが死んだとき、もうこれ以上涙は出ないんじゃないかと思うくらい泣いた(全然そんなことはなかったけれど)。

お葬式で泣いていたわたしに、微妙な距離感の大人たちは「そんなに泣いてたらあかんよ。しっかりしないと」などという声をかけてくれたのだけれど、内心では「うっせぇ」と思っていた。今泣いて当然だろう、って。

だけど、わたしはずっとお父さんと関わりを持ってこなかったのに、どうしてこんなにも悲しいのかな…なににこんなにも悲しんでいるのかな、とも。

自分の身体が子供を宿せないのだと知ったとき、自分でも信じられないくらい泣いた。

一晩泣いて、くたくたになって眠った。起きると涙の筋が白く残っていて、自分がうんと干からびてしまったように思えた。

そのときに読んだのが、遠藤周作の『沈黙』だった。

そこから、なにかが変わった。大袈裟かもしれないけれど、人生が変わったのかも。

昨年の年末に、ラジオから聞こえてきた「誰からも愛されず、必要とされない悲しみ、これこそが本当の飢えなのです」というマザー・テレサの言葉。

わたしに必要だったのは、自分の子供だったのかもしれない。けど、そんなことは、わかんないか…

崎陽軒のシュウマイのひょうちゃんは、最近どんな顔をしているんだろうな…

そう思いながら、久しぶりにサービスエリアで食べたカップ入りの崎陽軒のシュウマイには、プラスチック容器に入った醤油が付いていた。

もうすぐで、お父さんが死んで20年になる。今年、わたしは40になる。

久しぶりに夜が朝になっていくのを眺めながら、わたしは過去からできている自分を受け入れようと思った。

だから、今があるんだし。当たり前なんだけど。

それから。おにぎりって、誰かがにぎってくれた方が美味しいよね。


2021


11/9 mon.

【galleryMain アーティストトーク “ヨシダミナコ”】

 

https://www.youtube.com/watch?v=G9eW0Ua3gVs

 

京都のgalleryMainで行われたグループ展“galleryMain archive project #1”の関連で、先日アーティストトークを収録しました。

打ち合わせも台本もリハーサルもない一発撮りだったので、言い間違えやいろいろとお聞き苦しいところもあると思いますが、こんなふうに自身の写真家としての活動をはじまりから現在まで振り返って話すことは初めてで、大変よい機会をいただけたように思います。ありがとうございました。

一時間くらいの長いトーク映像となっていますが、お時間のあるときにでもご覧いただけましたら幸いです。

 

*ざっと自分で見返してみて、言い間違えで気になったところを記録しておきます*

澤田知子さんではなくて米田知子さん

キリスト=父ではなくて神=父

「浦上四番崩れ」がキリシタンの最後の弾圧となったが、1873年にキリシタン禁制の高札が撤廃された後も宗教の自由が認められたわけではなく、あくまでも黙認の時代が続く

「明治維新」のくだりもめちゃくちゃでした

処女作である『向かうところ』は2002年撮影ではなく、2000年撮影制作の作品(キャノン写真新世紀の受賞が2002年)

「渾身的」と何度か言っているところは、「献身的」と言っているつもりだった

『帰心、遙けし』の「遙けし」の意味は、「時間的、空間的、体感的」ではなくて「時間的、空間的、心理的」

(まだまだあるようにも思います…)


2020